书籍封面

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书籍信息

  • 作者:鎌田 慧
  • 出版时间:2007-2-16
  • 系列:岩波現代文庫・社会
  • 装帧:文庫
  • ISBN:9784006031473

书籍介绍

子どもの自殺は親にとってまったく突然のもの.なぜ我が子は死ななければならなかったのか,いじめと知り,子の状況を今からでも理解したいという親の気持ちとは裏腹に,学校や教育委員会からは実態を隠蔽され,自殺した本人や家庭の問題だと周囲の非難にもあう.子を喪った親の視点からいじめ自殺を問うたルポ.

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「いじめ自殺は,瞬間風速的に大事件として報道されるが,すぐまた静かになってしまう.報道が自殺の誘引になる,との「配慮」がはたらくからである.文部科学省の統計では,1999年度から2005年度まで,いじめ自殺がゼロだった.このことに,配慮が固定化されていたことがよくあらわれている.

「いじめをなくそう」というかけ声が,「教育界」の官僚制度に吸収されると,いじめがあってもいじめとしては認めない抑制として作用する.だれも責任をとろうとしたがらないからだ.学校では,教員は首をひっこめた亀の子のように,積極的にかかわらないようにして,あたかも雪どけのように,いじめが自然消滅するのをまつようになる.

ところが,2006年の夏から冬にかけて,自殺した子どものいじめを訴える遺書が発見されたりして,マスコミは,まだいじめ自殺がつづいていることに気づくようになった.こうして,またもや,死ぬな,負けるなの声を連載するキャンペーンがはじまり,自殺を引き留めようとする熱意があらわれる.

それらの報道が役に立たない,とはいえないにしても,死の苦しみを与えている肝心のいじめを中止させることができなくて,死ぬなと呼びかけるのは,ただ苦しみに耐えさせるだけのように思われて釈然としない.わたしも,一度,そのような文章を新聞に発表したことがあるからだ.」(「まえがきに代えて」)

いじめ自殺は今から10年ほど前(1990年半ば)にも顕著になっていた.そして,著者は新聞に「子どもたちよ,死んではいけない」という文章を書くのだが,その後もいじめ自殺はつづいた.「むなしさと同時に責任も感じていた」と著者はいう.いじめられた子の想いを聞きたい…….そんな思いから自殺した子どもの親に会いつづけ,そのインタビューをまとめたのが,『せめてあのとき一言でも』(草思社,1996年)である.

酷薄になってしまった子どもの世界,教員・学校・教育委員会の自己保身,自分たちこそが被害者と迷惑がる地域の保護者たち…….このような思いをもう誰にもしてほしくない,と遺された親たちが語ったことが,何の教訓も残さなかったとは思いたくない.しかし,10年経ち,当時まだ幼児だった世代の子どもたちも,やはり同じような苦しみを体験している.

本書は『せめてあのとき一言でも』を元に,その後著者が発表した文章を加え,新たに編集したものである.

「親として,わが子に先立たれるほど不幸なことはない.まして,いじめられての自死である.子どもも無念だが,親もまた無念である.悲嘆のどん底にいる親から,子どもが死に至るまでのこまかな話をお聞きするのは,きわめて酷なことである.それでも,子どもを奪われたうえ,地域からも孤立していく親たちには,訴えたい悲痛もまた深かった」「なにより,自殺を決意している子どもに,この親の嘆きを先に伝えることができて,ひとりでもいじめ自殺を食い止めることができれば,と願わずにはいられない」――著者はそう記す.

本書は,『せめてあのとき一言でも――いじめ自殺した子どもの親は訴える――』(草思社,1996年)を元に,新たに編集したものである.

岩波現代文庫 社会147